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2023.07.27

音楽科

『希望の先へ』

 7月12日に校内弁論大会が開催されました。緊張しながらもやる気に満ちた弁士達。熱い弁論を聞き入る生徒達。その様子を見守る教員達。音楽科からは1年生の渡会 雅さんがステージに立ちました。

 12年前に起きた東日本大震災…。渡会さんは2022年に初めて宮城県気仙沼市を訪れました。その時に心に感じた強い思いをピアノソロ曲として作曲したこと、復興支援活動に参加したこと、そして人の心を結ぶ力のある音楽をこれからの将来に向かってどのように勉強していきたいかを語りました。原稿を紹介致します。 (文責: 野畑さおり)
 
 
『希望の先へ』 渡会 雅
 
朝日が昇りキラキラと光る海。5月のさわやかな風が吹く中、潮の香りを感じながら私は友達と白い砂浜を歩いた。寄せては返す穏やかな波はとても優しく感じた。あの日の海と本当に同じなのだろうか。
2022年5月、私は東北を訪れた。4日間宮城県を始め各地を周った。初めて訪れた宮城県気仙沼市、そこは緑豊かな山や森、そして牡蠣やホタテなど、漁業が盛んな港町でも知られ、まさに海と山の自然に恵まれた地であった。私は気仙沼 田中浜海岸のあの透き通った海をじっと見ていた。
2011年3月11日、東日本大震災は起きた。マグニチュード9。震度6強。いつもとはあきらかに違う揺れ。長い。立っていられない。怖い。揺れは3分続いた。冷静ではいられない。悲鳴があちらこちらから聞こえる中、命を守る行動を取らなければならない。何をすべきか。一刻も早く高台へ。
気仙沼市では津波が発生、中には20mを超える高さまで津波が押し寄せた。そしてさらに悲劇は起こる。その後の大火災、海岸沿いに並んだ船舶甲の燃料が津波により破壊され、重油が漏れ津波火災を引き起こしたのだ。気仙沼市では津波と火災、二重の被害を受けたのだった。その大地震により多くの大切な命は奪われた。人々はあの日からどうやって過ごしてきたのか。私が訪れたのはこの大震災から既に11年もの月日が経っていた。
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館では当時の状況をそのままの姿で残し震災の記憶と教訓を将来へ伝える「目に見える証」として建物が保存されている。この建物は震災当日まで気仙沼向洋高校として実際に生徒達が通っていた学校だ。朝、友達や先生と挨拶を交わし、授業を受け、お昼休みには友達とお弁当を広げお喋りをし、笑い声に溢れていただろう。そこには私と同じような毎日が当たり前に存在していた。だが、その当たり前は突然失われ、悲鳴に変わった。大津波により破壊された教室、 窓ガラスは割られ、3階には流されて来た1台の車。4階の校舎には工場までも流され、壁に激突13mを超える巨大大津波に襲われながらも、ここにいた生徒達は全員 避難し、犠牲者は誰1人出なかった。私はここへ来て改めて思った。当たり前にある毎日がどれだけ恵まれていて貴重であるか、そして、私には友達がいる。支えてくれる人達が沢山いる。その事がどれだけ幸せな事か。今よりももっと深く、大切に感じるようになった。
私は小さい頃から作曲をしている。目で見た事、感じた事を曲にし、演奏をする。私は気仙沼で感じた事を曲にまとめ、昨年完成させた。タイトルは「光と影~あの日に心を寄せて~」気仙沼の青く透き通る海、白い砂浜をかけ出すように始まり、一転あの日の悲劇は起こる。そして悲しみの中で荒れ狂う心情を音にしている。そんな悲しみの中でもただ一瞬差し込む遠くに見える一筋の光、希望の光だ。この曲は気仙沼の人達が大変な苦しみの中運命を受け入れ、ただひたむきに前へ前へと1歩ずつ歩みを続ける姿。そしてその先には必ず光があると願ってこの曲を作った。こうして作られたこの曲は気仙沼を訪れた半年後、桜丘高校の復興支援活動として気仙沼・伝承館に伝えられ、演奏動画を見て頂くことができた。
 
私はこの経験からこの先、自分は何が出来るのか、そして何をしていきたいのか考えるようになった。私はやはり音楽を通して東北に心を寄せ続けたい。音楽には「伝える」「伝わる」という力がある。これは人と人が心と心で繋がる時だ。これが最大の魅力であり、私が音楽を学ぶ理由もここにある。
東北で心に刻んだ平和を愛する心。そして自分の演奏で人々を笑顔にし、平和の大切さを知ってもらいたい、という夢を胸にこれから先、私は音楽と共に成長していきたい。
 
 
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