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2025.08.29

お知らせ 平和部

戦後80年平和企画『18・LINE』08 ≪経過報告:茅野市→いわき市まで≫

経過報告04…各地にある「平和の火」 を紹介

 1.長野県茅野市『茅野市平和祈念式実行委員会』

 8月18日(月)晴天:長野県茅野市にある「茅野市平和祈念式実行委員会」様を訪問しました。茅野市運動公園駐車場に建立された平和の塔。実行委員会の皆さま6名と共に平和の塔を見学した後、交流会を実施しました。

 茅野市の平和活動の歴史は古く、 1984年(S.59)、世界の恒久平和の実現を目指す「非核平和都市宣言」を行い、非核平和事業に力を入れた町だと言うことが分かりました。特に若い世代が、平和の大切さ、生命の尊さを学べる環境をつくっています。その象徴として「平和の火」があるのかもしれません。平和の塔の建立には、市民、企業、各団体などの募金、そして茅野市からの支援があったといいます。今後も平和への意志が集う場所になることを願っております。実行委員会の皆さまから、貴重なお話を聞くことができました。この想いを次世代へ受け継いでいきたいですね。訪問の受け入れ、ありがとうございました。会長様に賛同署名にサインしていただきました。併せてお礼を申し上げます。茅野市平和祈念式実行委員会の皆さんと一緒に撮影!

2.新潟県十日町市『原水爆禁止十日町市協議会』

 8月19日(火)晴天:新潟県十日町市にある「原水爆禁止十日町市協議会」様を訪問しました。まずは、協議会の会長様と十日町市生涯学習課の皆さまとの交流会を実施しました。市民大会、平和学習、被爆者救援活動のために様々な活動を行っていることを知り驚きました。特に若い世代に対する平和学習の環境が充実していました。平和の重要性を訴えるだけでなく、広島や長崎への平和研修(式典参加など)の派遣や市内の学校へ平和関連図書などの寄贈を行っています。その後、案内された市役所には、2007年(H.19)、「核兵器廃絶平和都市宣言」を記念した石碑が建立されていました。最後に「市民のこころの火」が灯されている越後妻有交流館キナーレを見学しました。「平和への意志」を次世代へ繋ぐ活動に今後も期待したいと思います。訪問の受け入れ、ありがとうございました。会長様に賛同署名にサインしていただきました。併せてお礼を申し上げます。

越後妻有交流館キナーレに灯されている「市民のこころの火」

3.群馬県桐生市宗教法人『宝徳寺』

 8月20日(水)晴天:群馬県桐生市「宝徳寺」様の「原爆の火」を見学しました。四季を感じる禅寺として多く方が来訪されていました。この時期は、風鈴まつりが開催中。蝉の声の中に、風鈴の揺れる音が心地よく感じました。風に揺れる風鈴の短冊をよく見るといくつかのメッセージが書かれていました。「世界平和」、「笑顔で毎日過ごせるように」、「平和が一番」などの文字が多く見られました。この皆さんの願いが叶うといいなぁ~と思いながら風鈴のトンネルを抜けて「原爆の火」を見学してきました。

多くの来訪者が手を合わせる先にあったのは、八女市より分火された「原爆の火」。その横には「自分の幸せを 家族の幸せを 人々に幸せを祈りましょう」と書かせた石碑が建立されていました。ジリジリと焼け付く日差しを浴びながら、僕たちも手を合わせ、「世界恒久平和」を祈ってきました。この日は見学のみになってしまいましたが、その後、様々な対応をしていただきました。ありがとうございました。

群馬県桐生市の宝徳寺にある「原爆の火」

4.神奈川県鎌倉市『大船観音寺』

 8月21日(木)晴天:神奈川県鎌倉市にある『大船観音寺』様を訪問しました。大船観音寺には、「神奈川県原爆被災者の会」の皆さまが管理する「平和の火」が灯されています。この日は、お寺の管理者の方に案内していただきました。大船駅に近いお寺には、高さ25mの巨大な白衣観音様が建立されています。国家安寧を願って創建された大船観音寺には、様々な平和への想い(願い)が込められています。平和の火の横には、広島原爆の爆心地に近い西連寺の地蔵土台、長崎浦上天主堂の被爆石が寄贈され、製作された慰霊碑が建立されています。八女市から分火された「平和の火」は、未来永劫、平和を願う“原爆の火”として灯され続けていました。神奈川県原爆被災者の会の皆さんとは後日交流を実施しました。この日は、「平和の火」の見学のみとさせていただきました。大船観音寺の皆さま、ありがとうございました。

神奈川県鎌倉市にある大船観音寺

5.東京都港区『芝公園』

 8月22日(金)晴天:東京都港区芝公園にある「平和の灯(ひ)」を見学してきました。この場所は、目の前に東京タワー、横には増上寺という観光地であり、そして、都民の皆さんが憩いの場として利用している公園です。この「平和の灯」は、広島市の「平和の灯(ともしび)」、長崎市の「誓いの火」、そして、八女市星野村の「平和の火」が合わせて灯されていました。1985年(S.60)、港区が平和都市宣言を行ってから20周年を記念して、「平和の灯」を設置しました。

戦争の惨禍と平和の尊さを後世に伝えることを目的としています。

 見学後、港区立男女平等参画センター(リーブラホール)へ訪問しました。この日は港区の担当者だけでなく、港区平和青年団・広島派遣中学生の皆さんと短時間の交流をしてきました。翌日行われる「平和のつどい~若者が伝える平和への想いと未来~」の事前リハーサル中でしたが受け入れてくださいました。ここに集まっていた高校生たちは、広島や長崎などを訪問し、平和研修を実施してきた皆さんです。被爆地で見てきたことをもとにして、ひとりひとりが平和への想いを発信する役割を担っています。港区はこのような平和事業を行うことで、幅広い世代へ平和への関心を発信していました。最後に、港区長様に記入して頂いた賛同署名を担当者様より受け取ってきました。是非機会があれば、高校生同士の交流を実施してみたいものです。訪問の受け入れありがとうございました。

港区の担当者の方から賛同署名を受け取りました。
港区長さんのサイン入りです。

6.福島県いわき市『いわき市文化センター&宝鏡寺』

 8月23日(土)晴天:福島県いわき市文化センターへ『ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ「非核の火」を灯す会』様を訪問しました。この日いわき文化センターでは、「2025いわき平和のつどい」を実施していました。会場には多くの来場者が集まり、実物大の原爆模型や戦争資料などを観覧していました。会長様とお話をする中で、「原爆の核」だけではなく、「原発も核」と言う言葉が心に残っています。ここは福島県いわき市、東日本大震災による影響で原発による大きな被災を受けた町であることを思い出しました。最後に、会員の皆さまの協力により横断幕に平和メッセージを書いていただきました。

 この後、会長様の案内で楢葉(ならは)町にある宝鏡寺へ「平和の火」を見学しに行きました。道中、東日本大震災の被害状況を聞きながらの移動になりました。現在でも、放射能の影響を受けて帰宅困難区域に指定されている地域が依然として残っている状況でした。

 宝鏡寺に到着すると待っていたのは、被団協代表理事を務めている木村緋紗子様(仙台市在住)でした。翌日実施の「平和のつどい」の打ち合わせに訪れていました。短時間ですが、僕たちの企画を報告することができました。ここに灯されている火は、上野東照宮から移設された塔に新たな塔を建立し、「非核の火」が境内に灯されています。今回の訪問は社会問題と向き合う大きな機会となりました。対応していただいた関係者の皆さん、ありがとうございました。

右側の部分が上野東照宮から移転された石碑です。

7.神奈川県横浜市『新都市プラザ』

 8月24日(日)晴天:神奈川県横浜市新都市プラザへ「神奈川県原爆被災者の会」様を訪問しました。この分火団体が21日に訪問した大船観音寺の平和の火を管理しています。この日は、そごう横浜店前の新都市プラザで「2025原爆と人間展」が行われていました。この企画展では、被爆者や被爆2世の方との交流や被団協が受賞したノーベル平和賞のメダルレプリカの展示などを行っていました。企画展の最終日ということもあり、多くの来場者が会場に集まって展示物を観覧していました。神奈川在住の被爆者が描いた絵には人が集まり、集中して観覧している姿が見られました。

 会場では、会長様、事務局長様に対応していただきました。継承することの難しさが問題視される中で、ICTを活用した平和講演などを実施して戦争体験者の証言を多くの人たちに伝える努力をしていました。「会員が少人数になっても絶やさないことが大切、少しいれば、続くから…。」この言葉が印象に残っています。企画展最終日の忙しいタイミングでの受け入れ、感謝申し上げます。神奈川県原爆被災者の会の会長様に賛同署名にサインをいただいています

8.後半(8/18~8/25)を終えて…

 「歩くことで未来への希望を繋げたい」。

 この言葉の通り、「僕たちの責務」を全うしてきた計25日間。

 後半戦のまとめとして2つのエピソードを紹介します。

■その①

 8月19日(火)、偶然出会ったおじいさんから、戦争当時の話を聞くことになりました。「当時4歳、長岡空襲で被害に遭った当時のことは今も忘れない。自分を抱きかかえて逃げた母の顔は今も忘れない。戦争は一度起きてしまった。大切なのはこれから戦争が起きないように平和を考えることだ…。」この出会いの後、まっすーから申し出がありました。それは、「この間、原爆についての学びはあったけど、都市空襲のことは何も知らない。もっと空襲について学びたい。」その言葉を聞いたので、翌日予定を変更して群馬県前橋市にある「前橋空襲と復興資料館」へ見学に行ってきました。「原子『ばくだん』と同じ『ばくだん』(焼夷弾など)であれだけの人が亡くなったことを初めて知った。原爆以外にも学ばなければいけないことがある」とその日の日誌に記されていました。

■その②

 8月19日(火)、夕食後に立ち寄った本屋で一冊の絵本を手に取って読み始めた、まっすー。

「へいわとせんそう」/ぶん:たにかわしゅんたろう、え:Noritake、ブロンズ新社、2019年

「へいわとせんそう」は、昨年、92歳でなくなった谷川俊太郎さんが手がけた絵本です。ページ数は少ないですが、ゆっくり時間をかけて読んでほしい作品です。読み手の想像力が、かなり重要になってくるはずです。

この絵本を手に取り、ページをめくっては、前のページに戻り、次のページをめくっては前のページに戻る。このような作業を繰り返しながら読む絵本。「?」って思う方も多いはずです。読めばわかります。僕自身も同じように、この作業をしながら、この絵本を読んだ一人です。この絵本の前では、45歳の「おじさん」も17歳の「わかもの」も同じ行動をしてしまうのです。これ以上、内容は書けませんが、本当に「せんそうとへいわ」は対する位置にあるものなのでしょうか?「戦争と平和」の本質に迫るこの絵本を一度手に取ってみてください。

 

  現在、まとめの作業に入りました。しばらくは、学園HPの更新やinstagramの投稿の頻度が減ると思います。しかし、この企画はまだ終わっていません。活動報告(10/17)とメッセージ発信の2つの作業が残っています。最後まで見届けてもらえると幸いです。

「平和のこと一緒に考えませんか?」皆さんに投げかけてきた言葉です。この夏の企画を終え、皆さんは何を考えましたか?機会があれば、皆さんのお声を寄せてください。

 全体のまとめは、学園HPに掲載したいと思います。これにて、分火団体訪問の旅はこれで一区切りつけたいと思います。これまで応援していただいた皆さま、本当にありがとうございました。

平和委員会顧問 小林 寿来

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