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2025.08.02
お知らせ 平和部
戦後80年平和企画『18・LINE』05≪平和の火の物語≫
八女市星野、「平和の火」Story
福岡県星野村で生まれ育った山本達雄さん。1945年、広島県で軍の任務中に原子爆弾が投下され、司令部へ向かう途中、汽車の中で被爆してしまいます。その時、山本さんは変わり果てた広島市内の惨状を目の当たりにしました。終戦から約1ヶ月後、父親代わりであった叔父を探しますが行方はわからぬまま。最後の別れに叔父が営んでいた書店へ行くと地下壕でくすぶり続けていた原爆の残り火を見つけました。山本さんは、この火を叔父の遺骨代わりに故郷である星野村へと持ち帰りました。
以来、ヒロシマ原爆の残り火は、山本家の仏壇、火鉢、カマドに移され、「恨みの火」として、23年間灯し続けられました。1966年8月6日、この出来事が新聞に掲載されたことで、火の存在が世に広がりました。1968年8月6日、その火は山本家から星野村へ、全村民の平和の願いとして受け継がれました。時が経ち、 この「平和の火」は、星野村から全国各地へと分火され、いつしか、「恨みの火」から「平和の火」へと変わり広がっていきました。毎年、8月6日8時15分、八女市平和祈念式典が開催されています。現在、この火は全国各地へと分火・採火され、山本達雄さんの意志が全国各地で受け継がれています。
経過報告01「企画の始まりは…」
今回の企画は、本校の「平和の火」の原点である福岡県八女市からスタートしました。30日:八女市役所を訪問し、簑原市長へ企画の報告を行い、激励の言葉をいただきました。31日:星野村の錠光窯を訪問し、原爆の火を持ち帰った山本達雄氏のご子息である山本拓道様と交流を深め情報交換を行いました。
今回の企画では訪問と同時に、「ホシノ=サクラガオカ宣言」に賛同署名をいただいています。宣言文には、達雄さんが残した平和への意志と共に世界恒久平和への願いが書かれています。多くの団体様にもご理解いただきながら、「平和の火」分火団体として連帯できることを願っています。最終的に集まった賛同署名をもとに、10月17日に本校で行われる「戦後80年桜丘平和祈念式典」で宣言文を発表したいと考えています。
平和委員会顧問 小林寿来
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※明日(8/3)は鹿児島にある分火団体を訪問します