News お知らせ

2025.08.17
お知らせ 平和部
戦後80年平和企画『18・LINE』07 ≪経過報告:大分→名古屋まで≫
経過報告03…各地にある「平和の火」 を紹介
1.愛媛県宇和島市『宇和島ライオンズクラブ』
8月8日(金)晴天:愛媛県宇和島市にある「宇和島ライオンズクラブ」様を訪問しました。宇和島バスセンターの向かいに「平和の塔」が建立されていました。今回、宇和島ライオンズクラブの会長様に「平和の塔」を案内していただきました。宇和島ライオンズクラブは、毎年8月6日に追悼集会を行い、山本達雄さんは残した「平和への意志」を訴え続けています。1971年、宇和島市は世界絶対平和都市宣言を行っています。さらには、ニューヨーク国連本部へ、同市から「平和の鐘」寄贈されています。これらのことから、平和に対する意識が高い地域であることがわかりました。今年行われた追悼祈念式典では、「宇和島から世界に平和を発信していこう」と呼びかけたそうです。お忙しい中、会長様に市内を案内していただき、宇和島のすばらしさを知ることができました。訪問の受け入れ、ありがとうございました。
2.広島市内の散策・見学『NHK広島、広島ガス』など
8月9日(土)曇り、10日(日)雨、11日(月)雨:広島市内を散策し、「日本放送協会広島放送局(NHK広島)」様、「広島ガス株式会社」様が管理している「平和の火」を見学してきました。併せて、広島市内にある「被爆建物」を見学してきました。
見学地…本川小学校平和資料館、袋町小学校平和祈念資料館、原爆ドーム、多聞院、相生橋、爆心地。
NHK広島の建物の横に「平和を願う三つのモニュメント」があります。①原爆之碑 ②平和への誓い~被爆放送局の碑~ ③ヒロシマの火 平和への灯(ともしび) 広島放送局として何を想い、何を残そうとしているのか、核兵器廃絶と平和について考えさせられるモニュメントになっています。そのひとつに八女市から分火された「平和の火」が「平和への灯」に灯されています。訪問時はメンテナンス中でした。
原爆ドームが見える元安川の東岸にある「原爆犠牲者追憶之碑」。広島ガス株式会社が建立したモニュメントを見学してきました。当時、広島瓦斯株式会社の職員が原爆の被害にあった。犠牲者に対する祈りと平和の願いを込めた「平和の火」。元安川のほとりで原爆ドームを見守っているように灯されていました。
■番外編①「電波を出せ!放送を続けよ!」
1945年8月6日、8時15分、広島市内上空で原子爆弾が炸裂…。その瞬間、広島中央放送局(のちのNHK広島放送局)は、壊滅的な被害を受けました。当時、広島中央放送局はラジオ放送局として様々な情報を発信していましたが、戦局が進むと空襲警報を伝えることが大きな役目となっていました。焦土と化した広島市内、目に入る光景は地獄絵図、死傷者を出した局内。そのような中でも「電波を出せ!放送を続けよ!」目の前で起きた事実を伝えるため、放送の再開に向けて命をかけて行動した局員たちがいました。その局員たちのおかげで、原爆投下24時間後にラジオ放送を奇跡的に再開することができました。その時の出来事を忘れないためにも、亡くなった86人の犠牲者のために「原爆之碑」が建立されたのです。その横には「平和への誓い~被爆放送局の碑」には、被爆した旧局舎の縁石を用いて、原爆投下の時刻「8時15分」を表したモニュメントが設置されています。さらにその横には、広島平和記念公園の「平和の灯」と八女市の「平和の火」がひとつになった「ヒロシマの火 平和への灯」があります。大型のランプ塔が建立され、そこに灯された火は、核兵器廃絶と恒久平和を訴えています。
3.京都府京都市東山区『NPO法人アースキャラバン』
8月13日(水)晴れ:京都府京都市東山区にある「NPO法人アースキャラバン」様を訪問しました。少し大きめのランタンに灯された八女市の「平和の火」。ここでは「希望の火」と呼ばれ、世界にある「人類の聖火」と呼ばれる16の火を融合して灯し続けています。その火は、イエス生誕地「ベツレヘムの火」、キング牧師の「永遠の火」、ルンビニ「ブッダ生誕地の火」など。今年は、「HOPE80」と呼ばれる企画を実施。国内だけでなく世界に向けた平和活動を展開しています。担当者の方には、これまでの活動を丁寧に説明していただきました。ランタンに灯された「平和の火」は、心温まる優しい火に感じました。訪問を受け入れていただき、ありがとうございました。代表の方に賛同署名を書いていただくため、署名用紙を預けてきました。後に郵送していただけるそうです。ご協力ありがとうございます。
4.奈良県奈良市般若寺町『平和の塔の会』(般若寺)
8月13日(水)晴れ:奈良県奈良市般若寺町にある「平和の塔の会」(般若寺)様の「平和の塔」を見学しました。奈良坂の古道に建つ般若寺。四季折々の花が境内に彩りと風情を添える古寺。僕たちが訪問した際は、コスモスのつぼみが膨らみ始めたところでした。境内に建立された「平和の塔」は、平和を願う人々の想いで建立されました。八女市の「平和の火」(広島)と長崎の原爆瓦から採火された「長崎の火」と融合させて灯している「平和の火」。平和の記念碑として核なき世界、平和な世界の実現を目指し、平和の運動に連帯していくという思いが込められていました。この日はお盆ということもあり、ご迷惑をおかけしてしまいました。前住職様にお声をかけていただき、少しお話を伺うことができました。お忙しい中、見学させていただきましてありがとうございました。
5.前半(7/29~8/14)を終えて…
各分火団体を訪問し、八女市の「平和の火」の重要性を学び続け、現地(各団体)の声に耳を傾けた17日間。そして、各平和資料館を見学し、当時の人たちが「生きた証」を目に焼き付けてきた17日間でした。
焦土と化したヒロシマから故)山本達雄さんが叔父の形見として持ち帰った「ヒロシマ原爆の残り火」。
犠牲者の供養と「恨みの火」として山本家で守り続けた「ヒロシマ原爆の残り火」。
多くの人たちの目に触れ、気づけば「恨みの火」から「平和の火」へと変わっていった「ヒロシマ原爆の残り火」。
僕たちは全国各地に分火された「平和の火」をしっかりとこの目に焼き付けてきました。
みなさん、タイミングが合えばインスタ投稿を確認してください。 定期的に各地の「平和の火」の「ゆらぎ」の動画を投稿しています。あの「ゆらぎ」の裏側にある、様々な想いを想像してみてください。
「『恨みの火』では、問題が解決できない」
「『恨みの火』では、世界は平和にはならないのです」
達雄さんのそんな声が聞こえてくるかもしれません。
「赦す」こととは何か、そんなことを考えながら後半の出発に備えています。達雄さんが残した平和への想いは、各地へ広がり、「平和の火」として灯し続けています。これは紛れもない事実です。僕たちが「見て」きたのだから言えることです。
まっすーが言いました。「歩くことで未来への希望を繋げたい」。 最後まで、この言葉の通り「僕たちの責務」を全うしたいと思います。
平和委員会顧問 小林 寿来