Blog 校長ブログ

2025.07.08
戦禍を耐え抜いたシンガーミシン
先日、職員朝礼時に平和委員会の生徒がマイクを執ってくれました。
普通科2年の増田君、戦後80年の今年、顧問の小林先生(左)と共に、さまざまな取り組みに挑戦します!
そのスタートが、まずこの「シンガーミシン」。製造から100年以上が過ぎていますが、実は桜丘にとてもご縁がありました・・・
先日、豊橋市内在住の内藤さん(88歳)から平和委員会に連絡をいただきました。「母の形見のミシン、桜丘に寄贈したいのですが」という内容でした。
内藤さんのお母様は、なんと、桜丘の前身である「裁縫塾」に通われていたそうです(明治42~大正13の頃と推測)。やがて結婚されたお母様は一人娘だったため、ご両親が花嫁道具としてミシンを持たせたのではないかと、内藤さんは母親の人生を振り返り話してくださいました。6人の子宝に恵まれたお母様は、常にミシンで子供たちの衣服などを縫っていたそうです。
やがて始まった戦争、80年前の6月、豊橋をB29爆撃機が襲いかかりました。600名以上が亡くなり、7万人が被災。豊橋の街は壊滅しました。そんな中、ミシンは奇跡的に生き残ったのです。足踏み部分は破損してしまいましたが、本体は少しの焼け焦げで済み、戦後、落ち着いた頃修理をして使用再開。つい20年前までは内藤さん自身も使用していたそうです。
内藤さんはこう語られました。「母は常にミシンを使って縫っていましたよ。子どもが6人もいたからいつも何かは縫っていましたよ。私の中学校の制服はお母さんが縫ってくれました。桜丘に受け取ってもらって良かったね!お母さん・・」
内藤さんが思いきって桜丘に連絡をしてくださったおかげで生まれた、ミシンとの奇跡的なご縁。~11(金)まで、学内に展示します。生徒たちにしっかり見てほしいです。なお、一般公開も検討しています。決まりましたらお伝えしますね。